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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)6961号 判決 1963年2月28日

昭和信用金庫

事実

一、原告破産者株式会社メトロ沖山破産管財人伊藤利夫は、請求原因として次のとおり述べた。

(一)  訴外株式会社メトロ沖山は、昭和二七年四月一日設立された株式会社であるところ、訴外松本義人、同高橋一郎は、昭和三五年一月一八日東京地方裁判所に同会社の破産の申立てをし、同裁判所昭和三五年(ワ)第八号事件において昭和三六年五月一五日破産決定がなされ、右決定は確定し、原告が右会社の破産管財人に選定せられた。

(二)  被告昭和信用金庫は、右訴外会社に対し、昭和三一年五月一五日貸付元金一、五〇〇万円、利息日歩四銭、期限後の損害金日歩六銭、弁済期同月三一日なる債権および右会社が昭和三一年五月一五日に重畳的債務引受契約によつて引き受けた訴外野口政七の被告に対する消費貸借債務元金四六三万円、弁済方法同年五月三一日より昭和三四年八月末日までの間四〇回の分割払い、無利息、期限後の損害金日歩三銭なる債権の二口の債権を有していたところ、上記の如き破産の申立てがあつたことを知りながら、右訴外会社から別紙各支払表(省略)記載のとおり昭和三五年五月三一日から昭和三六年一一月三一日までの間に合計金一、九九六、四二九円の弁済を受けた。

(三)  よつて原告は、破産法第七二条第二号の規定により右弁済行為を否認し、被告の受領した上記弁済金の返還および右金員に対する被告への本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年九月一六日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告昭和信用金庫は、答弁として、次のとおり述べた。

(一)  原告主張の請求原因(一)の事実および(二)のうち被告が訴外株式会社メトロ沖山に対し原告主張のごとき二口の債権を有していたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告主張の弁済金は、訴外松本武雄から支払いを受けたもので、右訴外会社から支払いを受けたものではない。

理由

一、原告主張の請求原因事実は、原告主張の弁済金合計金一、九九六、四二九円が訴外株式会社メトロ沖山(以下破産会社という。)から被告に支払われたものであること、被告が右弁済金受領当時すでに右訴外会社に対し破産の申立てがなされていたことを知つていたことの二点を除き、いずれも当事者間に争いがない。

二、被告は、右弁済金は訴外松本武雄から支払われたもので、破産会社から支払われたものではないと抗弁するので、まずこの点について判断する。

(証拠)をあわせると、次の事実を認めることができる。すなわち、破産会社は、訴外沖山憲治が自己の経営する理髪業を株式会社組織にするため昭和二七年四月一日設立したもので、同訴外人が代表取締役となつて経営の衝に当り、一時は都内においてかなり手広く理髪店を経営していた。しかし漸次経営不振となり、また右沖山憲治の債権者で昭和三一年四月頃からは取締役として破産会社に参加していた訴外金木保啓、同飯田貫一らと沖山憲治との間に意見の衝突を生ずることも少なくなく、昭和三四年初頃は多額の負債と税金の満納をも生ずるに至つたので、飯田らは経理の監督権を自己らの手中におさめるとともに、税金対策上及び他の債権者らの追求をまぬがれるために、一応破産会社を解散し、新会社を設立してその名義で営業を継続することとし、同年二月五日に同年一月二九日をもつて破産会社を解散した、旨の登記をし他方同月二八日メトロ株式会社なる会社の設立登記をし、飯田の知人である訴外松本武雄をその代表取締役とし、同人をして経理の監督に当らしめたが、営業の実体は破産会社当時と全く変更がなく、保健所に対する関係においては破産会社が依然営業許可名義人であり、また右解散当時破産会社が経営していた理髪店である室町本店および虎の門支店の二店舗においても従前の建物、施設、従業員をそのまま使用し、店の名もそのままで引き続き営業が行なわれており、各店舗における日々の収入の収納、従業員に対する給料の支払い等は、事実上は破産会社当時と同様沖山憲治の弟である訴外沖山静夫がこれを担当し松本武雄は主として後記の被告金庫に対する貸借関係の処理に当つていた。そしてかような営業の継続については、破産会社と新会社との間において営業の譲渡がなされたわけではなく、また新会社が独自の帳簿を備え独自の計算を行なつているわけでもなく内部的には破産会社による従来の収支関係がそのまま継続されていた。ところで一方破産会社は昭和三一年五月一五日、前記金木保啓、飯田貫一、沖山憲治を連帯債務者として、当時金木の名義となつていた前記室町本店の在る建物に抵当権を設定し、さらに訴外野口政七が被告金庫に対して負担していた原告主張の元金四六三万円の無担保の消費貸借債務を重畳的に引き受けて被告金庫から金一、五〇〇万円を原告主張のごとき約定で借り入れ、被告金庫は当時大蔵省の次官通達によつて信用金庫の貸付限度額を一、〇〇〇万円とされていたため、帳簿上は右貸付金を六〇〇万円と九〇〇万円の二口にわかち、前者の借金名義を金木保啓とし、後者のそれを破産会社として処理していたが、その弁済方法は、破産会社解散前から被告金庫の京橋支店の職員が毎日破産会社の室町本店に赴いて営業の上り金からほぼ一定額の金員を前記沖山静夫から受けとり、これを被告金庫京橋支店における破産会社の普通預金口座に入金し、被告金庫においては右預金口座からある程度まとまつた金額をいつたん払戻しの形式をとつてこれを本部に送り、本部勘定に振り替えたうえ、前記金木保啓、破産会社名義の貸付金および野口政七に対する貸付金に分割充当するという方法をとつていた。

ところが破産会社の解散および新会社の設立後においても右の方法は変らず、ただ単に前記被告金庫における破産会社の普通預金口座の代りに新たに前記松本武雄個人名義の普通預金口座を設け、従前同様被告金庫京橋支店の職員が毎日前記室町本店に赴いて沖山静夫から営業の上り金の一部を受けとり、これを右松本武雄名義の預金口座に入金し、その後は前同様の方法によつて破産会社に対する債権の弁済に充当しており、本件の弁済金も、このような方法によつてなされたものであつた。そしてこのような決済関係については、別段破産会社と新会社または松本武雄との間に債務の行受けがなされたわけではなく、また被告金庫においても前記のごとき新会社設立の事情を知つており、したがつてこれによつて法律関係の変動があつたものと考えてはおらず、単に預金口座の名義人の変更があつただけのものであると考えており、かかる認識の下に事を処理していた。このように認めることができ、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

これによつてみると、被告金庫に対する破産会社の債務の弁済は、松本武雄の名義でなされてはいるが、右は単なる形式上の名義であるにすぎず、その実質は上記理髪営業の主体がその収益金をもつてした弁済というべきものであり、しかして右理髪業の主体は、これまた形式上は訴外メトロ株式会社となつているとはいえ、同会社は単なる形式上の存在にすぎず、その実質においては破産会社が営業の主体であり、同会社は、表面上は税金対策上および被告金庫以外の債権者の追求をまぬがれるため解散したごとき形式をとつているものの、実質的には引き続き従来どおりの営業を継続していたものと認めるのが相当であるから、結局破産会社がみずから被告金庫に対する自己の債務を弁済したものといわなければならない。右認定に反する被告の主張は、採用することができない。

三、しかし証人沖山憲治の証言および前掲甲第六号証によれば、破産会社に対して破産の申立があつた事実については、昭和三五年三、四月頃上記沖山憲治、飯田貫一らが被告金庫に報告し、被告金庫は本件弁済を受けた当時右破産の申立てがあつた事実を知つていたことが認められるから、原告は、破産法第七二条第二号の規定により、破産者のした右弁済行為を否認しうるものといわなければならない。それ故右否認の結果として、被告金庫は破産財団に対し右弁済として受領した合計一、九九六、四二九円を返還し、かつ、被告金庫への本件訴状送達の日の翌日であると記録上明らかな昭和三六年九月一六日から右支払いずみにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告の本訴請求は理由があり、これを認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

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